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RYUとの出会いは、今季ではない。
何年か前に、当サイトのライターが代官山の裏路地に迷って見付けたセレクトショップであった。
茂みの先の通りの方では流れの速い時間が過ぎ去る中、地に根を張り、じっくりと時代を刻むようなお店だった。
決して傍観者ではなく、移ろいでいく時代を一つ高いところから見渡す。そんなフィーリングは似た志を持つものを引き寄せていたのかもしれない。

そこで手に取ったRYUのカットソーは上質でしっとりと手に馴染んだ。画像だけでは伝わらない、上質なウールとシルクの絶妙な手触り。RYUのアイテムには信頼感がすでに備わっていた。
なるほど、お店のコンセプトはメイドインジャパン。
アイテムのクオリティの高さは、このお店での第一次書類選考のようなもの。

そこでRYUは確固たるポジションを獲得していた。
やがて、渋谷のギャラリーコンシール(ジャパンファッションとは何かと縁がある)で大阪在住のデザイナーとようやく出逢ったのだった。
(似たフィーリングは人を結びつけ合うとしたら、我々は彼らの仲間になれたのだろうか?)


細部にこだわった物作りは、長い信頼関係が育つ必要条件。
個別にハンドメイドで仕上げるタグも、そのメッセージも、誠実で実直な姿勢が反映されている。

Thank you for selecting me.

赤坂の裏手にあるホテルの8階
RYUの次期コレクションの新作ラインナップである、オーガニックコットンのカットソーや、色調を抑えたテフロン加工のジャケットとスポーティーなブルゾンが並ぶ中、木村竜也とそのアシスタントは訪れるバイヤーを迎えていた。



大阪に生まれ、インポートファッションには小学生の頃から触れていた。
2002年に、ロシアにて9thインターナショナル・ヤング・デザイナーズ・コンテストで賞を受賞する。
その後ロンドンのホワイトチャペルに渡るが、学んだのはマニュファクチュアリングやデザインアシスタントでの経験のみではなく、「サバイバル」であった。
ヨーロッパのファッション産業の中で「生き抜くという強さ」だった。

―淡々と進んでいくにも、ある種恐怖との戦いはある。
不安や心配が一々の足の歩幅をゆがませるのだ。
一方でそういったものに打ち勝つには ―毒をもって毒を制す― ような場合も無きにしも非ずで、現在を支えているものは当時の辛かった経験もあると彼は話す。
…辛い思いをした人は結構、意地悪になったり?偏屈になったり?するけど、真逆にポジティブな優しさを得る人もいる。
その場合、私は通例いつも幸せな話を伺う事ができることは経験していた。
日本に戻って、2004年の10月にブランドを立ち上げた。
そして2008年にはアトリエ兼店舗、cobachi store がオープン。
アーティストではなくデザイナーとして、特定の技術ではなく、むしろコンセプトを―

コンセプトは、ハイファッション。
ハイファッションとストリートウェアのブレンディング。
またどのクロージングもハンドメイドの要素が入る。
そして何より、「着なくなっても置いておきたい」ものを―
着る人のコレクションに永遠に残るクオリティを求めている。


殆どのコレクションはメンズ・ウィーメンズ双方で展開している。
今季のコレクションは「動静」・「動作」からインスパイアされた、スポーツウェアマテリアルとハイファッションの融合。
木村は、クロージング・インダストリーのコンポーネンツ、すなわち、ショップ・ブランド・マニュファクチュアの、より高い同等性を見てもらいたいと願っている。
これは、お店・ファクトリー・デザイナー間で生じる微妙な上下関係に疑問を呈していることを意味する。
ここにも、RYUのモノ作りに対する姿勢が垣間見られる。
東京は流行も人も流れもあらゆるもののスピードが早い。
だから何か新しいもの、もしくはオリジナルのものを産み出してもすぐに忘れ去られてしまう要因が多く、難しい。
RYUはじっくりと創造するために大阪で活動を続けている。
クロージングはハイファッションのスタイルと、タイムレスなクオリティを包含する。

RYUの世界は茂みの中にいて平和な場所にあった。
通りの向こう側に行くには、何もそこに出て渡る必要は無いことを知っているかのようだった。

RYUは日本での拡大を続け、海外に乗り出す。
理由は、一人でも多くの人から、表現に対する『ジャッジ』が欲しいから。
尖峰はパリ・コレクション―

子供の頃に見た舞台に。
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